成功哲学 行動力・決断力

失敗することが怖いのでチャレンジできない日々の克服

人間は新しいチャレンジをする生き物です。人類の経済発展でも宇宙開発でも、個人では仕事の中でも日常の生活や恋愛などでも、すべてにおいて試練が待ち構えているのが人の運命と言えるでしょう。

私も様々なことにチャレンジをしてきましたが、半分以上は失敗しているかもしれません。もしかすると失敗率は誰よりも高いでしょう。

他人の失敗を目にすると、人は一々嘲笑したりいじめたがるもので、大勢に言いふらして執拗に馬鹿にしたがる老若男女と隣合わせの人生です。

そんな残酷な日々を過ごしたので心が弱りきって、あたらしいチャレンジをする気力が失せてしまいました。

しかしそんな状態から再びやる気を出すことができて、幾つかの懸案に取り組んで、とりあえず完成に結びつけることが出来たこともあります。

失敗したトラウマを克服して、ダメ人間ながらも新しいことに挑戦しつづけることができたのには、理由があります。

■失敗を嘲笑する人も、実はどこかで失敗している

「人生で一度も失敗したことが無い者だけが、他人の失敗を嘲笑しろ」と聖人に言われたら、誰もその場では他人の失敗をバカにしなくなるでしょう。

人は何かしら失敗をしているものですが、自分の失敗は隠しながら、他人の失敗を笑っていることがあります。

自分に火の粉が振りかかることを避けたり、「あいつより自分はマシ」なことを確認して安心しているのです。

誰もがどこかでつまづいて、しくじって、それでもチャレンジを続けていると考えると、自分の失敗も人類の中では普通のコトで、あっておかしくないことだと考えられるようになります。

■人をいじめる行為は失敗に分類されます

問題なのは自分の失敗の大きさや回数を念頭に置いてしまい、過去の大きな失敗は後に引くことがあることです。私は大きな失敗をしたことで、周囲の人からの残酷で過剰な圧力を受けて、前向きさを失ってしまいました。

失敗すると新しいことにチャレンジをしにくいですが、世の中をまったく違った見方で見ていくことで、あまり気にしなくても良くなるかもしれません。

例えばあなたの身近にも必ずいる、会社や学校のいじめっ子。彼らは毎日「いじめという失敗」を繰り返しても平然としているではないですか。

私の基準でいうと、いじめる行為は失敗の内に入るのです。あくまでも私の基準ですが。

何故かといえば彼らいじめっ子によっていじめられた人物が、数年から数十年後に誰よりも大成功を収めているケースがあるからです。つまりいじめっ子は将来性を見極めることができず、未来に成功する人をいじめて面白がっていたことになります。これはいじめっ子の大失敗です。

いじめっ子よりもいじめられっ子のほうが大成することは、いじめっ子の失敗の度合いを大きくするでしょう。

彼らが人をなじり、いたぶり、いじめ続けて平然としていられることは、失敗を繰り返していることを意味している場合があるのです。

狭い社会の範囲を取り仕切るいじめっ子が、人をいじめるという失敗を繰り返すことは、周囲の人が失敗をして平然としていても良い理由になります。お互い様だからです。こんなふうに考えてみませんか。

■ダメで元々でチャレンジをすることで自分を変えるしかない

チャレンジする時には、ダメで元々という言葉があります。これは例えば受験を見てもその理由が分かります。日本最高学府は東京大学ですが、2015年の合格率は34.2%しかありません。100人受けたら34人が成功し、66人が失敗する計算になります。

東大に限らず大学受験で失敗した場合、2浪3浪は当たり前、5浪、10浪以上という人も時々見られます。みんな失敗を繰り返して成功につなげていることになります。

受験だけではなくて、他の様々なことで人間はどこかで必ず失敗しています。

自分を変えるためには、新しいことにチャレンジを続けていくしかないというのは本当でしょう。

失敗しない人なんてほとんど存在しないことを前提にして、ダメで元々だからチャレンジをしたって良いではないですか。そんな気持ちで日々チャレンジを続けていくことができています。

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