コミュニケーション 別れ・離婚

弟との確執から絶縁、復活までの流れと涙とは

私に5歳下の弟がいます。

昔は兄弟でも、5歳離れていると、中々、いっしょに遊ぶということは少なかったのですが、年齢を重ねると次第に会話も家族の話、人生感の話と男同士、人生談議といった話題で盛り上がることもよくありました。

しかし、一時期、一切の縁が切れた時期もあります。

それは弟の生き様の中で起こったことです。

進学、中退、就職、結婚、離婚、そして再会という流れの中での家族との葛藤、確執、涙、そして、再会です。

元々、高校から他県の、全寮制の高校に入学した弟は早くから独立心が養われていたのかもしれません。

彼が高校を卒業する頃は、既に私は社会人。

一浪して大学に入学してきました。

それから、アルバイトでバイクのメカニックを始めたのです。

元々、機械いじりが好きで、大学の専門もその道。

しかし、アルバイトであったメカニックが本業となり、大学を中退。

実家の両親はかなり反対したのですが、それでも自由人タイプの弟は自分の思いで中退後勤めていたバイク店から、独立して工房を立ち上げたのです。

それから、間もなく結婚したのが私の結婚の翌年でした。

それから、数年は何事もなく生活をしていたようなのですが、しばらく経ってから私に電話がかかったのです。

内容は、お金を借りること。

「突然の連絡でゴメン。銀行の融資の保証人になって欲しい。」 

内容はバイク工房の設備を拡充させるために、銀行からの融資を受けるためでした。

その額は確か1千万円。

半端な金額でないと同時に、私にも守るべき家族がいて、保証人は断ることにしたのですが、その時はかなりの激論になったのです。

兄弟として、困った時に力をを貸してくれないのか?

事前の相談もなく、いきなりの連絡で保証人になってくれという安直なお願い。

そのようなことに、簡単に乗ることができない。

それが弟との10年近くの絶縁の始まりでした。

それから3年後、実家の両親からの連絡で弟夫婦が離婚したことを聞かされました。

詳しい話は分かりませんが、バイク工房の経営が行き詰まり借金だけが残ってしまったことが、離婚の原因のようなのです。

それから私は、各地を転勤して忙しい毎日が続いたこともあって、弟のことを思い出すのも、年末年始に実家に家族と帰省する時だけでした。

その時は、本人としては私や両親、私の家族にも会いづらいことがあったと思います。

しかし、彼を思い出す度に、心肺になる気持ちは残されていました。、どんなに言っても兄弟なのですから。

数少ない幼いころの記憶がよみがえる時に、

「今、どうしているんだろう?」

そんなことがよぎるようになったのです。

その後、私の転勤が東京に決まり、10数年ぶりの首都圏勤務となってから、久方ぶりに逢おうという動きになりました。

弟の連絡先は実家の両親が知っでいたこともあり、心配になっていた弟との数年ぶりの再会を果たしたのです。

久しぶりにお酒を酌み交わしながらの会話でした。

保証人のお願いの時の激論から、私に対するわだかまりがあったようなのですが、離婚語、時間が経つに連れて、離婚による家族を喪失によって、家族を守る義務や尊さが理解することができたとのことです。

それによって、私に対する怒りがおわびの気持ちに変わってきたようなのでした。

10年という空白の時間が私も弟の気持ちも落ち着かせてくれたのかもしれません。

それが、今に至っているのです。

今は、まだ借金の返済で必死に働いて入る弟。

彼にも私と娘と同じ年齢の娘がいます。

私の姪になる彼女も父親と10年近くの空白を経て、再会することができたました。

それから、私と弟の間も特別なくわだかまりもなく、普通に行き交える兄弟に戻ったのです。

それまでの空白機関はかなりの悩みもありましたが、今では、人生におけるよきアドバイザーになってくれています。

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