コミュニケーション

高校時代は両親と一言も話をしませんでした

40歳、男性、会社員です。

高校受験に失敗し、私立高校に進学しています。

狭いアパート暮らしを幼いころから続けていて、両親共に倹約家。幼稚園までは祖母に育ててもらいました。

父親は仕事一筋だったと思いますが、自宅でそんな仕事を話をしたこともなければ、友人を連れてきたこともありませんでした。

なんか凄まじい束縛感、閉鎖感をずっと感じていたような気がします。

自分的には早くこの空間から脱出して自立したかったのでしょう。

高校に進学してバイトをしようとしたのですが、頭ごなしに両親に反対されたことを覚えています。

今、考えるとまともに両親と話をしたことがなかったようにも思えます。

それだけ親が忙しかったのか、そういう教育方針だったのか……。

結局、強力な反抗期が高校生の頃に訪れ、高校三年間、両親はおろか妹とすらもまともに口をきかなかい状況でした。

毎日のように友人の家に集まって麻雀してた記憶しかありません。

どのくらい両親が悩んだかは正直今となってもわかりません。

けど、相当気を使っていたと思います。互いにです。

大学受験も失敗し、一浪。

その後、ようやく親元離れて国立大学へ進学しました。

地元が北海道だったので、本州に住むのは初めてでした。行くところ行くところ歴史があり、何もかも新鮮で、自由を感じました。

勉強もし、バイトもビジネスホテルのフロント4年やりながら祭りの出店、結婚式場の皿洗い、土木、ゴルフのキャディからコンビニ、家庭教師なども散々やりました。自分でお金を稼ぐ大変さも感じ、仕送り8万円でしたが、そのありがたみも感じることができました。

北海道に帰るのは年に1度くらいでしたが、少しずつ親との関係が柔らかくなっていったような気がします。

そして大学時代の彼女を連れて帰ったり、卒業式には初めて山梨県に呼んで働いていたビジネスホテルに泊まってもらいました。卒業式で代表として前に出た記憶もあります。

その後、山梨で卒業して、山梨で就職しました。

1年経過し、父親の体が病に侵され、北海道に帰ることになり。

今は実家の近くにマイホームを建てて住んでいます(自宅から車で3分です。二世帯にすればいいのにという声も聞こえてきそうですが、ここまで接近するようになっただけでも相当な進歩です)

40歳になった今も両親は健在です。

妹も結婚し、姪も甥もでき、三家族そろって食事やパーティーをできるまで関係が修繕されています。

親子で反抗期を挟んで揉めた場合、時間はかかりますが、子どもが独り暮らしするようになって初めていろいろなことを知り、考え、理解できるようになります。

時間と経験が解決する親子関係もあるのです。

似たようなシチュエーションで悩んでいる家庭もあるかもしれません。

両親も悩んでいると思いますが、子どもも同じように悩んで苦しんでいます。

自立するための生みの苦しみです。

温かく見守ること、我慢して見守ること、そして応援してあげること、それが親子関係を修繕する鍵だと思います。

未だにまともに面と向かって話はできませんが、週に一回は実家に寄っていますし、我が家に呼んで食事をしたり、バーベキューをしたりできるようになっています。

急がば回れ、の言葉通り焦らず、互いに尊重しながら生活できれば私のような限界のラインまではいかないと思います。

トラウマはしっかりと痕を残します。ぎくしゃくした親子関係は完ぺきには戻らないかもしれませんが、それもまた大人の親子関係の形かもしれません。

中学・高校の6年間など今考えるとあっという間の時間に過ぎないのですが、親子の関係にとってとても大事な時期かもしれません。

子どもを一人の大人として扱うことが大切な時期でもあります。

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