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マリー・ローランサンの詩「鎮静剤」は夫婦の問題の鎮静剤です。

夫婦の関係って何だろうと考えてしまいます。

家族なのに、この二人だけは血が繋がっていない。家族は具体的な何らかの繋がりがあります。

それでは夫婦は家族ではないのだろうか。結婚していなければ恋人同士と呼ばれます。愛人関係とか不倫の関係とか、呼ばれ方はいろいろです。

それでは夫婦の悩みというのは、男女の関係の悩みという事になります。家族から切り離されてしまうからです。

例えば夫婦の関係で一番大きな問題は離婚だと思います。中には離婚出来れば幸せで離婚も出来ない問題もあると思います。

裁判などに持ち込まれた時、子供が居なければ男女の問題で解決が図られます。子供の問題が入ると養育権とか慰謝料とか関わってきます。

やはり、夫婦の問題は男と女の問題だと言えます。

この問題は範囲を小さくした方が分かりやすいと考えます。

子供と親の問題は切り離す。性の問題も切り離す。お金の問題も切り離す。

残るのは、男女の心の問題です。ここに焦点を当てたいと思います。

夫と妻が向き合った時に問題が起きるのか、向き合わないから問題が起きるのか。二人の間に愛情があるから問題が起きるのか、無いから起きるのか。

つまり、二人が何かのアクションを起こさなければ問題は起きないという事です。夫婦の関係は、二人がお互いを空気のような存在だと思える時が、一番幸せであると言われます。ですから平凡が一番幸せだと言われるのでしょう。

そのような関係が本当に幸せでしょうか。疑問です。何だか現実から逃げているように思われます。見て見ぬ振りをしているようにも感じます。もっと言うと、どうでもいい存在としか見ていない事になります。

夫婦の間では、問題は起こすべきです。起こして悩んで、初めて夫婦の関係が出来ると考えます。

いろいろな問題を抱えて、初めて本当の夫婦になります。お互いを意識するからです。この意識が向き合うのが夫婦です。

夫婦の関係でも、人間の関係でも、大切なのはお互いをどの様に考えているかです。ここを突き詰めないと問題は解決しません。

それでは、夫婦はお互いをどの様に見ているのでしょう。

マリー・ローランサンに「鎮静剤」という詩があります。堀口大學の訳で有名です。亡くなりましたが高田渡というフォーク歌手もこの詩にメロディーを付けて歌っていました。

この詩は「何々の女より もっと哀れなのは 何々の女です」

この「何々」にいろいろな言葉が入ります。全部で八行の詩です。

一行目「退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です」から始まり、最後の八行目「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です」で終わります。

詩は次々に哀れな女を羅列してゆきます。

ここに、全部書き出してみます。哀れさが順番に重くなっていきます。

退屈、悲しい、不幸、病気、捨てられた、よるべない、追われた、死んだ、忘れられた、この順番で女性が並んでいます。

この詩は女性を描いた詩ですが、必ずしも女性だけの問題ではないと思います。夫婦の間にも漂っている問題だと考えます。

夫婦の間に、この九つの言葉が表す問題が起きたと想像してみてください。絶対に何とか解決しなければならない問題です。

どれかに当てはまるはずです。認識の仕方に個人差はありますが、二人が協力して解決する問題です。力を合わせる事が求められます。

この詩の怖いところは、最初と最後の言葉です。

悲しい、不幸、病気、よりも、もっと哀れな事があるという事です。

最初の「退屈」これは日常の繰り返し、平凡を意味しているかも知れません。

最後の「忘れられた」は、お互いがお互いを無視しているのかも知れません。

マリー・ローランサンは「もっと哀れなのは」という言葉を使って、人間関係の大切さを表現しているのだと考えます。

夫婦の間で、お互いを「哀れ」に追い込んではいけないのです。

自分が哀れになってはいけないのです。相手を哀れにしてはいけないのです。

夫婦の心の大切さが伝わってきます。

二人なら乗り越えられると信じましょう。

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